2013年 最高師範ロシア指導遠征

2013年5月17日〜22日

ロシア・モスクワ


ヤクーニン師範と最高師範


宇宙飛行士のドミトリー氏(中央)を囲んで

 〜モスクワ遠征記  静岡竜南道場 狩野 央康〜

 

 3年振りのロシア遠征。今回は首都モスクワ。 いつもと同じ便と航路だが、いつもと違う。正しくは"いつも、違う"だろう。 ロシア航空アエロフロートは90周年、ロシアは明年にソチ冬季五輪を控え、我々を迎える空港も、街の様子も様変わりしてきている。もうそこには、かつての共産国ソ連の面影は見当たらない。空港内喫茶店で出てきたどんぶり鉢ほどのコーヒーなどは、ロシア流の流行りジョークか。


(審査会:拳の打撃音が場内に響く)

 今回の稽古会場は、あきれるほどに広大なスポーツ公園内の巨大なサッカースタジアム内武道場。畳は破れひとつ無く、程よい弾力でとても稽古がしやすい。参加道場は全ロシア60都市120道場より5名づつに限定され集まったヤク-ニン道場生のほか、カザフスタン、アルメニア、ウクライナ、エストニア、ノルウェー、フィンランドなど近隣国からも参加。

 ヤク-ニン道場黒帯にはいつもながらの面々。誰も欠けることない息の長い空手の道か、この道場の強さの秘訣がここにも感じる。新しく紹介されたのはドミトリー・コンドラティエフ氏。国家勲章を受けたロシアの英雄、元宇宙飛行士である。あの若田光一さんと同期で親友の間柄だという。現在2段。ヤク-ニン道場にはかねてより、大企業の社長、国会議員(現在現職3名)、州知事、市長、大学教授など数多く、人材の宝庫。カラテ人気の秘密の裏には、国が武道(空手、合気道、柔道など総称して)を、運動の促進、飲酒の抑制など健康に大変有効であるとして、強く推奨しているのだとか。すでに一般には広く浸透し、ましてや知識人や上流階級層にとっては武道をたしなむこと自体がステータスでもあるらしい。


(ヤクーニン師範:ロシア空手連盟会長でもある)

 これらの事は、日本で道場を預かる責任者、指導員にはいたって羨ましく、極真カラテの普及発展には恵まれた環境なのだと思い込みがちだ。我々一行も今回総極真として来ているのだが、現地ロシアでも大きな変局があった。  〜ロシアには、ロシア政府が認める二つの大きな武道の団体がある。一つはロシア武道連盟である。この武道連盟の中に空手協会があり、いくつもの極真のグループが入っている。武道連盟の会長は国会議員で、プーチン大統領の補佐官もやっている。

 もう一つがロシア空手連盟で、会長がヤクーニン師範である。この二つの組織が、ロシアスポーツ省に登録されているロシア政府公認の武道団体である。これを創設するのには、数多くの高いハードルがあり、それらを全てクリアしないと、とても創り上げる事は出来ない。ロシアには83の州があり、43以上の州に勢力がなければいけない。ヤクーニン師範の道場は、53の州に勢力が及んでいる。(最高師範空手日記より)

 上記のとおり、ヤク-ニン道場はほぼ単独で国の認可を勝ち取った。この認可取得までのプロセスは公認政党結成と同じであり、言い方を変えれば、ロシア極真党などと名乗って 議員候補を擁立し国会へと送り出すことも可能なのである。当然生易しいことではなく、ヤク-ニン師範も大変苦労し、実に十年を要したという。その過程には武道連盟より傘下に加わらないかとの要請が度々。しかしヤク-ニン師範は決して譲らず、断り続けたという。おそらくはかなりの嫌がらせも妨害もあったことだろう。力の結集と、知恵の結集なくしてなしえない。むろん数多くの有能な弟子たちの活躍もあっただろう。なかでも殊更に、ジャンナ夫人の協力が絶大であったようだ。まさに内助の功である。このいきさつも今回初めて詳しく知ることができたのだが、一気に功績をまくしたててきたのでもなく、最高師範の質問から一つづつ掘り下げて聞き出していったものであり、その回答もいたって穏やかであった。優秀な通訳人を介してでの対話でありましたが、訳者が言葉を選ぶことで柔らかく感じただけのものとは思えず、人柄から来るものを感じた。


( ヤクーニン師範の別荘:見事なラウンドノッチログハウス)

 人柄。世間に言う『良い人』は多い。『悪い人ではない』=『いい人』というくくり方からくるのだろう。つまりは、自らすすんで悪事を働かないだけで、逆に言えば自らすすんで良い行いをするでもなく、例え困っている人を見ても遠巻きに何もせずに、傍観者と化しても、口から「かわいそうに…。」とでも言っておけば『良い人』と成り得てしまうのではないか。人の本質を見抜くことは難しく、それができる人間はそういるものではない。過去言ったことを簡単にひるがえし、結果ひとを裏切ってしまう事は残念ながら少なからずだ。

 反面、互いに揺るぎない信頼を築くのに言葉を必要としない場合もある。特に、発した途端に消えてしまう口からの美辞麗句などの多くは信用ならないが、贈る側の心と、受け取る側の心の共鳴で『言葉』が不朽の価値を持つこともある。  モスクワ郊外。静かな森に囲まれた場所のヤクーニン師範の別荘、その3階に奇跡があった。階段を上ると正面奥には総裁の写真と日露両国の国旗。手前右の壁には、かつて2006年に大石道場が主催した世界大会のポスター。その向い、左の壁にはヤクーニン師範宛に最高師範が自らしたためた「一期一会」の揮毫があった

 それを目にした時、最高師範の時は一瞬止まり、次には過去へと飛んだ。3万6千人の道場生を持つ、間違いなく世界最大の空手団体を統べるセルゲイ・ヤクーニン師範。彼のその聖域には自身の写真は飾られていない。居合わせた我々の胸にも熱いものがこみ上げてくる。

 その下で並んで腰かけ、しばらくの間とても穏やかに過ごされている二人の偉大な師の姿は、一服の名画のようでありました。

(贈られた揮毫の前で 「いやあ、日付をいれておくべきだったなあ。」と、最高師範)

 試練や逆境が、それを越えようとする者を強く鍛え育ててくれる。立場や責任も然り。 総極真は立ち上がったばかりだが、すでに国際組織としてしっかりとした根を張っている。そしてその核となる指導者たちはすでに走り始めている。 帰路、別れ際の新幹線車内。三島にて下車直前の最高師範の目は先程までと打って変わり、凄まじく、一瞬近寄りがたい殺気に似た眼光を放っていた。今から始める戦いの覚悟の顕れでいらしただろう。

 今回の訪ロでは色々なものを得た。様々な解決しなければならない問題も含めて。しかし日本極真の道場稽古という最前線に立つ我々が最も気を引き締めていかなければ、すでに走り始めている指導者の後姿さえも見失ってしまうだろう。時は待ってはくれない。  


 〜橘 直人(四段) ロシア遠征記〜


☆久々のロシア。世界総極真が立ちあがってから最初の、大石最高師範の海外遠征。そこに、狩野先生と帯同させていただく。いつも以上に、気が引き締まる思いである。最高師範も少なからず今回の遠征の重要さを口にされていた。  静岡で狩野先生と合流。三島で最高師範をお迎えして、いざ行かん。

 成田空港での情報で、モスクワは30℃。どういう事?当時、日本は最高気温が25℃程。いまだかつて、ロシアに向かって日本より暑かった事などない。持ち物的には、全くの的外れ(現地で聞くと、やはり異常気象であったよう。まさか、5月のモスクワのホテルでエアコンを付ける事になるとは思いもよらなかった)。 すっかり綺麗になったシェレメチェボ空港で、ヤクーニン師範達が出迎えてくださる。相変わらず暖かい歓迎。ノルウェーのビヨン先生達も一緒になり、電車と車でホテルへ移動。モスクワの駅構内で、恐怖の夜行列車を横目に見るが、今回はこれがお相手ではない・・・。

 再会に、最高師範とヤクーニン師範のお話しは尽きないが、明日からの稽古の事も考え、今日は早めに就寝することになった。


  ☆あまり時差ボケに悩まされずに起床。朝は気候も気持よく、朝食もしっかり食べて、いざ稽古へ。今日からは、通訳のイリアさんが一緒に来てくれる。ちなみにその通訳のイリアさんは、静岡県立大学にもいたインターン。かなりハイレベルな通訳で、大車輪の活躍をしてくれました。 今回の稽古場は、モスクワオリンピック時に建設された、巨大な(それこそ、東京ドーム○個分、という大きさ)総合運動施設な中にある、これまた巨大なサッカー場の一角にある武道場。稽古の時間には日が昇り、武道場一杯になった道場生からは、稽古前から汗が流れていた。
 いつもの、ヤクーニン道場の重鎮の方々を始め、多くの見慣れた顔が、暖かい笑顔で出迎えてくださる。何十人もの古参の黒帯の方々が居並ぶ姿は、圧巻の一言。その中には、新しく世界総極真に加盟してきたウクライナの責任者の顔などもあった。

 稽古前、控室で宇宙飛行士のドミトリー氏と会う(http://en.wikipedia.org/wiki/Dmitri_Kondratyev)。ドミトリー氏は、若田光一さんとも非常に懇意で、共に宇宙活動をしていたという大変著名な人物。現在は弐段。ヤクーニン師範の道場には、こういった社会的地位を持つ道場生が数多くいる。国会議員や知事、大企業の社長、大学教授等々。それらは、単に、広大な土地と人員がもたらすものではなく、ひとえに極真空手の社会的ステータスが高いという事に尽きると思う。国家として、国民の健康増進の為に武道(柔道、合気道等も含む)を推奨しているという事情もあるだろうが、やはりそれ以上の物を確実に感じる。極真空手に対する強い思い、というものが、いつ来ても熱く感じられ心に響くのだと思う。 稽古は、学校の授業の様に、短い時間を数駒行うパターン。あまりの参加者の多さに、みんなで一気に出来るのは基本だけ。移動稽古や型は帯別。最高師範が、帯や習熟度に分けて、丁寧に細かく指導される。最高師範が、一人で実技され説明されている時は、全道場生の目線が一点に集中し、緊張の空気に包まれる。稽古の時間はいくらあっても足りず、各コマはあっと言う間に過ぎて行った。

 晩は、ドミトリー氏も交えての夕食。美味しい食事と、楽しい時間が過ぎていく。途中、ビヨン先生達も合流。そう、ビヨン先生と言えば、後はビールである・・・。


  ☆朝から天気はイマイチ。しかし、稽古は変わらずある。昨日の続きで、型から。午後からの審査に備え、帯毎に課題を決めて行う。狩野先生は、昨日に引き続き少年部の指導。あまりに人数が多い為、少年部達は別室で狩野先生が指導される事になったのだ。そもそもこの合宿。一つの道場から参加者は5名までと決められていたらしい。もちろん、参加希望者が膨大だという事もあるが、そもそも希望者が全員来たら、収容するスペースが無いのだ。ヤクーニン師範は笑いながらサッカー場を指差し、『みんなが来たら会場はここ!』と言っていたが、まんざらでもなく、いつかはそういった広大な会場で、多くの道場生を集めて稽古をしてみたい、と仰っていた。 審査は、基本・移動・型・組手と。ヤクーニン師範からの叱責が飛び、稽古不足の者は途中で下げられる者も数人。普段は穏やかなヤクーニン師範も、その際は非常に厳しい眼差しで道場生を指導される。  最高師範が見守られているという緊張感もあってか、多くの道場生が息を上げていたが、昇段者の連続組手まで含めて、参加者全員が完遂した。基本や移動、型への真剣な取り組みはもちろん素晴らしかったが、やはり組手が日本人とは違うものが多々あり、見ていて非常に興味深かった。 晩は、ウクライナ料理。ヤクーニン師範の一番のお勧めという事もあり、とても美味しかった。


 ☆この日、稽古の合間や食事時に、非常に重要な話をヤクーニン師範から伺った。ロシア空手連盟の話である。ロシアには、ロシア政府が認める二つの大きな武道の団体があり、一つはロシア武道連盟。この中に空手協会があり、いくつもの極真の派閥も入っている。この武道連盟の会長は、プーチン大統領の補佐官もやっている国会議員である。もう一つがロシア空手連盟。会長はヤクーニン師範である。ヤクーニン師範は、度々武道連盟から加盟を勧められたが頑なにそれを断って、ヤクーニン道場を中心とした独自の組織を作り上げる道を、あくまで進んで来られた。その期間は10年にも及び、多くの時間と手間と人材等がその為に費やされたとの事だった。

 ロシアスポーツ省に登録されている、ロシア政府公認の武道団体は「ロシア空手連盟」と「ロシア武道連盟」である。政府公認となる組織を創り上げるには、非常に高いハードルをクリアしなければならない。例えば、全ロシア83州の内、43以上の州に勢力がなければいけない(ヤクーニン師範の道場は、53の州に勢力が及んでいる)。また、4万人以上の署名も必要となる。これらは、政党と作るプロセスと同様との事で、その気になれば、この空手連盟が政党として国政に打って出る事も出来るのである。それ程の組織が、ヤクーニン師範が中心となっているロシア空手連盟なのである。『多くの人達の尽力と協力・賛同、妻の大きな手助けがあって、出来あがった』と仰るヤクーニン師範の表情は、いつにも増して感慨深げだった。


  ☆観光。世界有数のプラネタリウムに先ずは行く。学校のお休み時期と重なった事もあり、場内は「社会科見学」的なこども達で大騒ぎ。それはそれで楽しいのだが。椅子に寝ころび、ゼンハイザーのヘッドセットに興奮している内に、冒頭で寝落ちの失態。時差ボケで、薄暗い部屋で寝ころぶのは危険。  平日のモスクワ市内は、名物『大渋滞』に見舞われる。少し移動しようにも、にっちもさっちもいかない。美術館に行った際には、時間を惜しんでヤクーニン師範が単独で駐車場所を探しに行った程(あえて、駐車場所、と言ったのは、駐車の殆どが路駐だからである・・・)。
 そんなかんなしている内に、最終日はあっと言う間に過ぎて行く。ヤクーニン師範が、変わらぬ笑顔で見送ってくださる。「今回の遠征は、いろいろな意味で非常に重要で素晴らしかった」と最高師範は仰られた。世界総極真としての大きな一歩に立ち会えた事を胸に、自分自身も一層精進しようと思った。


  ☆遠征の途中、ヤクーニン師範の別荘に招待された。モスクワ郊外の、閑静な森林地帯の中である。ヤクーニン師範の家族以外で、この別荘を訪れた人はいない。ヤクーニン師範が、最初に招待するのは大石最高師範、と決めてられたとの事でした。非常に味のあるたたずまいに、非常に癒された気分にひたる。しかし、大きな感動が待っていたのは、その3階に上がった時でした。道場としてのスペースのそこには、正面には大山総裁の写真。立派な観空マークの旗とロシア国旗。壁面には最高師範の写真や静岡での全日本大会(2006年)の大きなポスターが。そして、綺麗に額に入れられた、最高師範直筆の『一期一会』。9年前、自分が初めて最高師範に帯同したソチ遠征の際に、最高師範が書かれた物であった。それが、非常に綺麗に、額に入れて飾ってあった。最高師範は、言葉にならない感銘を受けておられるようであった。自分と狩野先生も、熱い気持が胸から込み上げてくる。感涙するとはこの事か。ヤクーニン師範の熱く揺ぎ無い、極真空手と最高師範への気持が満ち溢れた、素晴らしい別荘でした。