2011年 スリランカ指導遠征

2011年11月3日〜8日

スリランカ・クルネガラ

 

 初日

 基本、素手素足。スリランカは極真の国である。

 いよいよスリランカ行き。今回は、柴田師範・狩野先生・橘の三人で遠征。スリランカ大会に合わせての遠征ではあるが、基本稽古・移動稽古・型を行うセミナーにおいては、スリランカ国内の道場は元より、他派閥からの参加者も多く、「非常に重要な物になる」と、大石最高師範からの言葉を頂いての出発。自分は、初めて行く国という事もあって、否応なしに緊張感が高まった。 初めて乗るシンガポール航空で、まずは中継地・シンガポールのチャンギ空港へ。乗り換えで、スリランカはコロンボへ行くのもシンガポール航空だったが、あらゆる意味でレベルの高い航空会社だと感じた。チャンギ空港は、ハブ空港だけあって、その巨大さは別格。長い乗り換え時間も、さほど苦にはならなかった。辛い物好きの自分は、空港でまず辛口カレーと思しき物を食して雰囲気を盛り上げる。

シンガポール・チャンギ空港


 現地時間0時に、コロンボ空港着。日本時間は夜中の3時半。猛烈な眠さと気だるい暑さに包まれたが、チャンダナ先生は、いつもと変わらぬ明るさで出迎えて下さった。グランシップの大会に来た、チャンダナ先生の娘さんもいた。手作りのレイに、気持ちと心意気を感じる。しかし、熱帯かと思う(熱帯である)蒸し暑さは、汗かきの自分にとってはかなり辛い。が、その深夜のコロンボ空港の熱気たるや、別の意味で凄まじかった。現地の人達の人間としての力を、まざまざと感じる。
 スリランカの交通事情とその運転に関しては、来訪歴のある柴田師範から「とにかく凄い」とは聞いていた。で、どうかと言うと。文章で伝えるのが困難な位に、それはまあ凄まじい物だった。一言で言えば、『情けはあるが、ルールは無用』。速く行きたい者は、ひたすら追い越しを繰り返す。多重追い越し、複数追い越しなんて当たり前。車線をはみ出ても、正面衝突寸前まで避けず。クラクションとパッシングは、常用兵器である。縦列駐車並の割り込みも普通。乗っている側は、常に緊張感とスリルを強いられるので、滞在中、度々あった二時間以上の車の移動は、全く退屈しなかった。
 尋常でない激走2時間で、ホテル『ブルースカイ』へ到着。正直、眩暈がするかと思う位の眠気だったが、狩野先生に促されて見上げた夜空に、眠気が吹っ飛んだ。今まで見た事が無い程の星の海!!!丁度、見上げた所にオリオン座があったのだが、日本で見る様な「2・3・3」の配置が見えるだけでなく、星座が確認出来ない位にビッシリと多くの星が、瞬いていた。時間が許すなら、このまま夜明けまで星を見ていても飽きないぐらいに、多くの星が満天を照らしていた。そして、数時間後には、目も眩む深緑が、出迎えてくれた。

ホテルの窓から


 初日・其の弐

暑い観光・仏教遺跡

 初日其の弐。予想以上に広い部屋(これにはカラクリが・・・)で数時間休んだ後、スリランカ観光へ。これは、深夜便で到着した自分達への、チャンダナ先生なりのお心遣いだったのである。しかし、前述の通り、街中はルール無用である。お客を乗せたからと言って、車の運転が穏やかになる事はカケラも無い。荘厳な寺院を中心とした観光名所を周る間も、ひたすら蛇行・追い越し・クラション・パッシングの乱れ打ち。滞在半日で、『車の運転って、こういうもんだったかいな?』と刷り込み状態になってしまう位。「長距離危険運転」という試練に、この日は晒された。

この部屋である・・・


 そんな運転をしていても、参拝する時は至って平穏。現地スタンダードに倣って、自分達も参拝の際は裸足に。街中の大きな寺院だけでなく、小高い山頂にある仏様に参拝する際も、裸足で行った。ベアフットで、極真関係者の行進である。寺院は、観光スポットの様に外国人(自分達も外国人だが)が多くいる所もあったが、国民的に崇拝する気持がそうさせるのか、どこも厳かな雰囲気み満ち溢れていて、無神人な者でも敬虔な気持ちにさせる様なものがあった。

GOLDEN TEMPLE


 初日の食事の際、ネパール在住経験がある狩野先生の隠れた実力が如何なく発揮された瞬間があった。ご存知の方もあるでしょうが、手食とも呼ばれる『右手』で食事を食べる習慣。狩野先生、それは見事なお手前(シャレではない)。自分も早速、レクチャを受け挑戦!!・・・。これがまあ、全く上手くいかず。狩野先生が、何事も無く行儀よく食事をされる方とするなら、自分は単に行儀悪い人か、道具が上手く使えない赤ちゃんの様で・・・。白帯どころか、体験入門レベルでした。




 移動途中に寄った湖で、洗濯兼お風呂兼水遊びの様子を見る。

 

 


 遂に、ゲキカラ

 晩御飯。小洒落たオープンカフェの様な店へ。自慢ではないが、辛い物にはそこそこ自信がある自分は、地の雰囲気を知る為にも、積極的に「現地仕様」もしくは「辛め」の食事を摂りたいと思っていたし、摂っていた。が、この日は遂に『DEVIL』がお目見えした。一見、玉ねぎと見紛う白い輪切りの野菜。酢豚の様な外見に、柴田師範や狩野先生と共に、「これは美味しい」とフォークを進めてしばらく。いろんな物が口の中で爆発し始めた。あぁ、いや、ごめんなさい。何故か、謝っていた。これが、本場の破壊力か。そうか、これを越えないと、スリランカは受け入れてくれないのか。訳の分からない事を考えながら、それ以外はとても美味しかった食事をいただいた。後々判明した事だが、ここまで厳しい攻めをする唐辛子類は、「Devil」と現地ですら呼ばれ、別メニューになっているのみならず現地人でもそうそう食さない物だった。

Devil in there

 さあ、明日は稽古!!!!


 二日目

 気持ち良く、しっかり寝たいとは思っていたが、時差に影響を受けて夜中に度々起きた。

 7時に結局、ベッドから出る。長距離輸送でかなり浮腫みがある気がする下半身を動かすべく、部屋で稽古する。補強と基本稽古と型を軽くやったが、重ダルさはなかなかすっきりしない。しかし、このホテル部屋は広い。平安の型なら楽々出来るぐらいの余裕がある。凄いぞ、スリランカ(柴田師範、申し訳ございません・・・)。

 スリランカタイム発動。9時からの稽古なのに何故か0850まで食事。

 いざ、ホテルに隣接する会場へ。ホテル付属のホール、と聞いていたので、日本で言う所の、ホテルの宴会場みたいな所をイメージしていた(3年前、柴田師範が来られた際はそうだったらしい)。が、タイル打ちっぱなしの、「建物の一階部分であった」。床は、固めのタイル。飾り立てた柱が何本も建ち。この柱が、邪魔な事この上なく。誰も、テープを巻いたり有り難がったりする訳ではない。そして何より、凄まじく蒸し暑い。昨年のヨーロッパ合宿の一日目か、ソチで体育館の空調が壊れていた時を思い出す。吸った空気が重ダルく、違和感を感じるような暑さであった。それもそのはず。密閉された様な空間に100人近くが寿司詰めになり。更に、撮影用のライトが煌々と焚かれているのである。気分はサウナ・・・。まあしかし、それはそれ。この、妙に派手な柱といい、まさしくここはサウナなのだ。サウナと思えばいい。後は行くのみ。

 それぞれの自己紹介から、柴田師範の号令で稽古開始。準備運動から基本稽古まで、熱波を吹き飛ばす勢いで進む。こちらに注がれる眼差しは、更に熱い。全力でこちらも動く中、時々前列付近の道場生に、アイコンタクトでハッパを掛ける。


 小休止の後、移動稽古。自分が基本的な手技を中心に行い、狩野先生は手技の応用を。あまりの暑さに、そこかしこにリフレッシュを入れてはいたが、前列の黒帯が苦しそうな顔をしだした。これは、良くない。一番空気の悪い後方では、白帯や少年部が動いているのだ。柴田師範と軽く確認と取り合い、自分が担当した蹴りの移動稽古の際には、(色帯には本数の加減をしたが)黒帯には容赦無く、前蹴上げと廻し蹴りを中心に、連蹴りをガンガン蹴ってもらった。



 型の指導は、狩野先生の号令。自分は、後列の少年部や初級者の補助に。どこの国の子供も、一生懸命で見ていて楽しいし、こちらも刺激を受ける。『KATA Champion』の紹介を受けている狩野先生の指導は、いつも以上に情熱が込められていたかもしれない。スリランカの人達は、メリハリがきいた、しっかりとした型をやっていた訳ではなかった。正直言って、上手くはない人達も多かった。多くの流派が入れ乱れているからか、全く別の動作をしている人達もいた。しかし、『型』という物に対する信念は、動きを通じて伝わってきた。迷いがない、まさしく自身を鍛える型であった。こういう、気持のベースが出来ていれば、枝葉末節は後で直せばいいと思う。将来、型の世界大会が開かれたあかつきには、きっと良い選手が出てくるのではないと、感じた。

狩野先生の型指導

 最後は、組手技術の稽古から軽めの組手稽古まで。およそ3時間。終了時には、汗だくを通り越して、行水した様な状態に。道着のズボンはおろか、帯から汗が絞れるレベル。今回は、実質的な稽古はこの1回だけだったが、この決して良くはない条件の下で行った3時間は、きっと時間数以上の成果をもたらしたと思う。

 スリランカタイム発動その2。14時から審判講習会のはずが、昼食が終わったのが14時5分。

 審判講習会である。明日の試合に向け、チャンダナ先生のお弟子さん達に実技指導。周りでは、先のセミナーに参加した道場生も20人程、興味深げに見学している。当地の黒帯の方々は、「ある程度」の動作は知っていても、旗の振り方から直していくレベルであるのが現実。日本でやる様に、狩野先生と自分が選手代わりとなり、柴田師範の主審の下、実技・実演の中で判断・旗の振りをレクチャしていく(会場は、セミナーと同様のホールである。当然、暑い。シャワーを浴び、昼食も摂ってスッキリ感があった狩野先生と自分は、スッカリ汗だくになっていた)。

 予定時間より多少早めに終了した審判講習会。チャンダナ先生も少々疲れておられたのか、夕食の時間まで3時間程の余裕が設けられた。少し仮眠をして、「あ、この時間で街中を探索してみるか」と思っていたところ、ノックの音が。偶然にも、全く同じことを考えていた柴田師範が、訪ねてきてくださった。結局、狩野先生も一緒に、現地の紙幣(スリランカルピー)を獲得して買い物に行こう!という話に。ブラっと街中に出て、いざ買い物。日本語を勉強したという現地の若者が声を掛けてきてくれて、ATMの存在を確認。柴田師範の機転もあり、ルピーをゲット。車移動の際に目星を付けておいた食品スーパーと、洋品店(現地のユニクロみたいなとこ)に行く。昨年のオランダでも現地のスーパーに寄ったが、こういう買い物は楽しい。香辛料や奥様へのお土産を探されていた狩野先生は、特に喜々として買い物をされていた(日本ではあまり見かけない様な香辛料も、沢山売っていた)。

クルヌガラ市街

 夕食。昨夜と同じ店舗に。もちろん我々は、「昨日のと同じ料理は止めて」とチャンダナ先生にお願いする。「いろんな料理を食べてみたい」という気持ちももちろんあったが、何せ、Devilを避ける為である。快諾するチャンダナ先生。で。席に付いて真っ先に出てきたのが、昨日と全く同じのDevli入りの酢豚もどき。違う!!!そうじゃない!!失礼とは思いつつも、「これは、日本人には辛すぎるので・・・」と、同席されていた道場生の方々にお譲りする。楽しい夕食が進む中、ふと、Devilの皿を見てみると。見事な位に『Devilのみ残して』、きれいに完食されていた。スリランカの人も食べれないんじゃないか!!

 さて、夕方に柴田師範が自分の部屋にいらっしゃった際。入るなり、「なんや、これ〜〜〜」と驚きの声。実は、自分の部屋はシングルスイートだったのでして。テレビ(標準装備ではない)、ベランダ、冷蔵庫、大きすぎる部屋と。自分が余裕綽々で使用していた部屋は、恐らくそのホテルで一番良い部屋だったようだ。ホテルにエレベーターがなく、重い荷物を持って階段を上る手間を省くのと、入口から一番近いという事で、柴田師範には1階の部屋が割り振られていたようなのです。申し訳ない気持はあっても、ルームサービスなぞは無い状況で、既にベッドも自分が使っていたので、部屋の変更はせずに、そのまま自分が快適に使わせていただきました。

現地で買ったミロと、スイート仕様のシーツの掛った机


 三日目

 いよいよ、今日は大会。成功哩に終わって欲しいのはもちろんだが、自分達も試し割と型の演武があるので、当然気は抜けない。 しかしまあ、スリランカ気質と言うか、大会は15時から(チャンダナ先生に聞くと、日本の様に朝からの大会では、スリランカ人には『大変』だとの事)。この日は特に、大会準備に追われるチャンダナ先生が、待ち合わせに遅れることしばしば。大会に合わせて、この日から別のホテルに変わったのだが、まずチェックアウトの待ち合わせに30分程。お昼の約束には20分程。大会の際に迎えに来るのも20分程。国民気質なのだろう、小一時間なんか、誤差の内なんだろう(もちろん、定時より早く来る事は全く無い)。どういう段階で演武をするかも、予定がコロコロと変わって予想が付かないので、出発前に柔軟運動を済ませ、しっかり身体を動かしておく。

 車で移動した先の会場は、お世辞にも広いとは言えないが、独特の熱気に包まれていた。小さめの体育館と言った所か。いや、むしろ、教会の様な感じか。 入口での道場生の出迎えに続き、男性二人による歓迎の舞に誘われて会場内へ。観客も選手も、立ち上がってこちらを注視している。自然と、こちらの緊張感も高まる。日本人の来賓、という立場と共に、慣れない副審陣を実践を通じて指導する役割も担う事になった。
歓迎の舞に迎えられる

見守る観衆

 参加人数は少なく、観客は150人程(有料)。選手に控え室など無く、会場内スデージの裏に、まさしくみんな「控えて」いる様な状態。分かり易く言うと、小学校の学芸会で、舞台袖で出番を待つ小学生の様な状態か。呼び出されて、コート脇まで来てようやく身体を解す選手も。国民気質を考慮しても、まだまだ成長の余地が大いにある大会だった。試合そのものはアグレッシブなものが多く、そこは大いに評価出来る。が、気質をよく知る狩野先生が危惧した通り、「手がダメなら足を出す。足がダメなら手を出す」といった様な不屈の闘志は無く、大人でも戦意喪失でギブアップする者も・・・。
一般部決勝(主審 柴田師範)

 さて、演武であるが。それぞれが、型と試し割を行った。型は、狩野先生が観空、自分が十八、柴田師範が五十四歩。ほぼ真っ暗、土足仕様の様な舞台裏で着替えと準備運動を『突然』するハメになったので、もはやぶっつけ本番に近い。異国の地・取り巻く異国の人達・テレビカメラとスポットライト。緊張するのは当たり前。でも、やれる事は出来たのではないかと思う。自分自身としては反省すべき点もあるが、後の評価は見ている人達のものだ。






 大会が終わると、外は雨だった。何はともあれ、一先ずはお疲れ様でした、チャンダナ先生。でも、まだまだ大変でした。後から振り返ると・・・。