2010 欧州遠征記 (大石道場職員 橘 直人)
☆7月7日
0600頃起床。バイキング形式の朝食美味し。
一時間程、ディスカッション。
暫し休憩の後、観光へ。物凄い絶景(絶叫も?)をもたらしてくれる、大展望台に登頂。
大河沿いにある雰囲気たっぷりの『ホテルニューヨーク(☆☆☆☆)』で昼食(シーフードが美味)。「スピード」と発音するから、凄まじいモーターボートの様な物を想像していたら、実はゆったり遊覧船の『spide』。ファッションと芸術が生まれる欧州では、ウィンドウショッピングでブラブラしているだけでも楽しい(最高師範は、帰国後の夏季合宿でも活躍した、オシャレなサンダルを購入された)。
夜は、自主稽古の予定。ようしやるぞ、と勇み勇んで行くが、何故かいきなり食事。やる気と準備は空回り。熱気と汗ではなく、巨大なステーキがお出迎え。しかし、やっぱり食事は美味しいので、何となく納得してしまう。
食事の後は、ルオール師範の実家や他の道場を回る。どこも風情ある町並みばかり。忙しい中、多岐に亘るルオール師範のお心遣いには、ただただ感謝の気持ちである。
日本では七夕だが、白夜気味の欧州では、彦星と織姫の出会う時間は限られている。
ホテルに帰って、バタンキュ〜。
☆7月8日
0600起床
今日も美味し朝食を(食堂放浪記になりつつある)。
少し休んでお出かけ。晩には型稽古があるので、程々にしたいのがホンネ。この日はまあ、日本もかくやと言う位に熱波が。郊外の動物園兼水族館は楽しかったが、なんせ暑いので、かなり日焼けをした。
1900からは待望の稽古。師範方、先生方を始め、道場生も続々集結。自然と緊張感が高まる。基本稽古と型で、二時間なんてアッと言う間。合間に撮影をしていたものの、なるべく動いて汗をながす様にした。『極真空手に国境は無い』。昔に読んだ、総裁の著書にあった言葉を改めて実感する。人種も性別も年齢も、全ての壁は稽古の中では無くなる。
稽古の後は、隣接するスポーツバーで食事会。何故か、焼き鳥と寿司が。これがまた、海外とは思えない程にイケる。そして、全ての食事には欠かせない、ハイネケンというお供も。
大いに盛り上がるが、明日からの合宿も考慮して、早めに切り上げる。
ちなみに、柴田師範とホテルに問い合わせたところ、wi-fiが使用可であった。こういうシステムは、欧州が遥かに進歩しているのは柴田師範から伺っていたが、やはりここでも。
☆7月9日
ベルギーと言えば、チョコ?ダイヤモンド?ビール?ToT?
0600起床
朝食の後、一路ベルギーへ。
陸続きの国境を超え、只管の平地を行く。静かな小道が広がる、まさしく「合宿地」の様な所へ到着!ここでも『OSU』の声が響く。最高師範、ヤクーニン師範、ルオール師範、インゴ=フライヤー師範といった、そうそうたる師範方が集う(合宿的には、物凄く贅沢な合宿だと思う。単純に、参加したい・・・)。そして、ベルギーのクンダバッカル先生を始め、欧州各地から来た(カナダからもいましたが)先生、先輩方が居並ぶ。その姿は壮観。
道中の渋滞で結構グッタリ気味な気分も、蒸し風呂の様な体育館で稽古を開始すれば吹き飛ぶ!
2000から開始して、最高師範の指導・号令の元、基本稽古と型でビッチリ2時間の稽古を行う。自分も、僭越ながら前列から稽古をやらせていただいたが、集まった道場生の、こちらを見る真剣な眼差し、迷いの無い全力さ、全面に出る気合は、熱風の中でも心地良さを感じた。
夜、宿舎の勝手が判らず、ぬるい水しか飲み物が調達できず、やや悶絶。
☆7月10日
0530起床
0630から第1部の稽古。
清々しい、屋外での稽古。最高師範の号令の元、まずは基本稽古。細かいところまで、最高師範のご指導が飛び交う。基本を全員で行った後、帯別に分かれて型稽古。予定では、他の師範方とコンビを組むはずであったが、白〜黄帯を単独で任される事に!しかも、お世辞にも多くの道場生が上手いとは言えず、型を覚えてもいない(黄帯で平安Tがなんとか、というのもチラホラ)。いつも、日本でやっているのと変わらないが、徹底的に一緒にやって見せるしかない。足場が悪かろうが何だろうが、お構い無しでやる。
朝食は、食堂でみんなで、パン・ハム・コーヒー・シリアル。
1000〜1230 型稽古
またもや自分は白・オレンジ帯を指導。午前中の稽古もそうなのだが、午後のこのクラスからは、本格的にクラス分けされての指導。最高師範が、高段位の方々の型指導をされているのを始めとして、各々がバラバラ。もちろん、お互いの稽古を内容をさして知る事もなく、写真や映像を収める事もなく・・・。
白・オレンジ帯の型指導は、午前中の様に青や黄が混じっている訳ではないので、立ち方や用意のやり方から徹底する。そして、どこの国にでも必ずいる、すぐに気を抜いてダラける一般男性の尻を叩いて一喝!
昼食は、食堂でみんなで、パン・ハム・コーヒー・シリアル。
1500〜1730 組手稽古(コンビネーション)
最初は白〜青帯を指導。簡単な、その場でのコンビネーションから、移動しながらの動きまで。結構ガンガンやってもらう。途中から、柴田師範が指導されていた黄・緑帯の部と合流。後半は、受け返し等も取り入れる。
物凄い夕立があり、体育館から宿舎に帰るほんの少しの移動で、すっかりズブ濡れに。
夕食は、食堂でみんなで、パン・ハム・コーヒー・シリアル・・・(あれ・・・)。
2000 審査会
基本・補強・型。受審者は少なかったが、内容は大変厳しく、充実したものに。
最高師範の号令、指導、時には叱責が、夜の体育館に響く。
☆7月11日
0500 起床
0630 今日も、各々が分かれて指導に。自分は「コンディショントレーニング」に参加。屋外での、サーキットトレーニングの様な感じのもの。まさしく参加。『さあ、行くぞ!!』という感じで、ルオール師範がランニングを先導する。自分は、しんがりと務めて遅れがちな道場生にハッパをかける。フト見ると、いつの間にかルオール師範はインゴフライヤー師範と共に、ゴール地点でランニングを終え、ハッパを掛けている。自分はと言うと、もちろん止まる訳にはいかない。少々のんびり、遅いグループと共に進んでいた自分は、次から次へと、選手志向の若手に抜かれていった。ペースメーカーの役割が無くなった今、当然、納得いかない思いが湧きあがり、一気に加速して抜かれまいとする。400mのグラウンドを10周。昨日の朝、自分が指導の型稽古でダラけていた男性は、いつの間にか、ルオール師範に何やら苦しそうな顔をして言い訳をして、ランニングを止めてガンガンと水分補給をしていた・・・。白帯でなかったら、成敗してやろうかと思うぐらいである。
小一時間のランニングの後は、只管補強を。ルオール師範の、ウィットの効いた補強が休みなく続く。時にはルオール師範がパートナーとなって下さったりして、1時間近くが補強。最後は、パートナーを見つけて「おんぶ」でグランドを1周。自分の相手は、同じ参段とは言え、83kg。その彼は、自分の背中で「Sensei, you are lucky!!」と笑っていたが、その彼すら、些か軽い自分をおんぶしての1周にはヘロヘロになっていた。自分はもちろん、弱音を吐く訳にはいかない。絶対立ち止まるものか!と心に決め、1周を周った。少し前におろし立ての道着は、雨上がりのグランドに這いつくばり・寝そべり・跪き・転がったおかげで、すっかりシミが付いてしまった。
朝食は、食堂でみんなで、パン・ハム・コーヒー・シリアル(なんか・・・)。
1000 組手稽古
自由師範と共に、茶帯・黒帯(初段・弐段)を担当。
コンビネーション〜受け返し〜スパーリング
組手稽古の後、全員参加で、ルオール師範のセルフディフェンスの講座。
セルフディフェンス=護身。しかし、ルオール師範の繰り出す技は、どう考えても『過剰防衛』か『一方的なオフェンス(攻め)』である。それがまた、素晴らしいし、興味深い。さすが、生まれ育った地では「beast(=野獣)」と呼ばれていただけの事はあると、実感。因みにこの異名。現地で運転手を勤めてくれた、アントニオ=バンデラスの様な道場生が言っていた事実である。ロッテルダムは、大河を挟んで「south(南側)」「north(北側)」と分かれていたらしいが、「south」出身のルオール師範は、『beast of south(南の野獣)』と呼ばれていたそうな。
1500 組手審査
色帯から、有段者の連続組手まで。名立たる、高段位の師範方が注視される中での連続組手は、各人には後になって、糧となるのではないかと思う。
1700 ホテルをチェックアウトの後、クンダバッカル先生の車で、ハイウェイを移動。
1830 ベルギー市街の新しいホテルへチェックイン
駅舎を改造したらしいホテルは、些か不安要素がチラホラ。しかし、エアコン魔人である自由師範と自分にとって幸いだったのは、部屋に、設定温度19℃で起動するエアコンが付いている事であった。もちろん、着いた直後から、エコ活動には情け無用のエアコン全開。
1930 サヨナラパーティーは、中華レストランで(W杯のオランダ・スペイン戦を見ながら)
ベルギー支部・オランダ支部の道場生と、屈託の無い会話で盛り上がる。
この晩、心地よい疲れとベルギービールの為、トランクス一丁でベッドに寝転がって撃沈した自分と、キッチリ着替えて寝具に収まった自由師範との間に、夜中のバトルが繰り広げられる(要は、お互いが「暑い!」「寒い!」と思い、無意識の内に起きて、お互いがエアコンを付けたり消したりしていたのである)。設定温度19℃・強風。こういう付け方をするから攻防が起きるのだとは、寝ぼけた夜中には想像出来ない。
☆7月12日
0600 起床
0800 朝食。ビヨン先生夫妻も一緒
小洒落たホテルの小洒落たバイキング。ベルギーと言えばワッフル。当然、朝食でもいただく。パン類はどれも、抜群に美味しかった。味付けが上品で、まさに朝食にはピッタリ。
0930 アントワープ観光へ。雨のせいもあり、クンダバッカル先生が意図されていた個所は全部は周れなかったが、十分に欧州の雰囲気を満喫出来たと思う。
アントワープ大聖堂は、「フランダースの犬」のネロが、最後を迎えた場所である。かの、ルーベンスの絵の前で感慨に耽る。
行く前は、『ルーベンスの絵の前で寝そべって、ネロのまねをしてみよう』などと、リアクション芸人の様なふざけた考えを持っていた自分が戒められるくらいに、聖堂内は凄まじく荘厳な場所であった。反省・・・。
1300頃 スキポール空港へ
洒落たバーガーハウスで軽い昼食を取ったり、南アフリカから帰国した失意のオレンジ軍団と行き合ったりと、そこそこ楽しみながら時間を過ごす。
で、いざ搭乗手続き。が、チケットロスの大騒ぎ!!!自分の目の前でチェックインを済ませ、チケットが出てきた事務局長。次に続いた自分に浴びせられた言葉は「sell out」。しかも、何事も無かったかの様に。サラっと。意味は判る。しかし、事態が理解出来ない。こちらは、日本で既に代金も払っているのに『チケット無い』とは何事?数年前、ロシアのシェレメチェボ空港で最高師範をお待たせする結果になった時を思いだす混迷。日本語で(しかも関西弁で)まくしたてても、オランダ人に通じるわけでもなく。そばに、冷静な事務局長や柴田師範がいらっしゃらなかったら、オランダ語と関西弁という、全く噛み合わない攻防が延々と続いていたことであろうと思う。発券カウンターも、搭乗直前のカウンターも、受付嬢は極めて冷淡。日本なら、「責任者出てこい」である。
いざとなったら自分だけでも次の便で、と思って待っていると、流暢な日本語で自分の名前が呼ばれる。キャンセルが出たのだ。搭乗カウンターに行くと、年配の空港職員が見事な日本語で応対してくれる。さっきの、全面戦争の様相を呈していた、ふざけた若い職員はどこへ?その年配の職員は、迷惑をかける事になった事を詫び、「可能である限り、席の移動も出来るようにします」なんて事も言ってくれた。
原発の入場ゲートの様な、待望のボディスキャンを通過し、いざ搭乗。
したはいいが、お土産をロクに用意するヒマも無かったのは、悲しかった。
たかだか数回の経験であるが、海外に行く度に、大山総裁の偉大さを更に強烈に実感し、叩き込まれる。もちろん、自身の帯の重さも感じる。極真空手が素晴らしい武道であると、幾度も痛感させられる。普段、思っていて感じている事でも、更にそう思う・感じる。
今回も、素晴らしい遠征であったと思う。
押 忍
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