鈴木 貴設 初段(伊東道場所属)
〜2007年03月11日取得〜

 自分が極真空手と出会ったのは18歳の時でした。当時、仕事帰りに国道1号線を車で走っていると、沼津本部道場が目に入りました。仕事仲間から、「ここの空手は実戦空手で強くなれる」と聞いていましたが、最初はあまり気にしていませんでした。けれど、信号待ちの時に沼津本部道場を眺めている度に、習いたいという気持ちが強くなってきました。それから数日後、心を決めて入門しました。入門当初、通う度にいろいろな突き方・蹴り方を覚えて強くなっていくのを自分自身実感していましたが、当時の自分は、何事にも中途半端ですぐに逃げ出す様な気持ちの弱い人間でしたので、稽古の苦しさに負けて、3カ月くらいで道場に行かなくなりました。道場を離れた後も、極真空手の事が頭から離れないまま悶々とした気持ちで、2年位が過ぎてゆきました。そんな時、家の近くに極真空手が出来たと耳にして、ここで諦めたら自分が駄目な人間になってしまうと思い、三島田町道場に再入門させていただきました。それからは、尾高先生の指導の下、稽古に励みました。途中、仕事の関係で2〜3ヶ月に1回くらいしか通えなかった時期が3年位ありました。通えなければ通えない程、自分の極真空手に対する気持ちが強くなっていき、改めて極真空手の魅力に気付かされました。ようやく仕事も落ち着き、道場に通う回数も増やせるようになり、一生懸命稽古に励んだ結果、努力が実り、茶帯を許されました。
 そして、約1年経つ頃、尾高先生から「山口先生の手伝いをやってみないか」とのお話しがあり、だいぶ悩みましたが、自分を成長させるチャンスだと思い、山口先生に自分を紹介していただいて、平成17年4月から、正式に山口先生のお手伝いをさせて頂く事になりました。初めの頃は、何も分からない自分でしたが、山口先生が的確な指導・アドバイスをして下さったので、富士見道場・湯川道場・熱川道場と新道場を開き、今現在2年経とうとしています。最初は不安ばかりでしたが、道場生が一人また一人と増えていくと、次第に不安の思いが責任に変わっていきました。この時期から、早く初段を取り、極真空手大石道場の指導員にならなくてはいけない、との思いが一杯になってきました。そして、初段に向け型の審査を受けましたが、1回目・2回目共に保留でした。主席師範の「極真空手の審査の保留は、落ちたという意味ではない。もう一度初心に戻って見直せ、という意味だ」という言葉を思い出して初心に戻り、型の難しさ・大切さを噛み締め、必死に稽古をして、3回目の型の審査でようやく1級を許して頂きました。
 そして、平成19年3月11日の審査で、10人組手をする事が決まりました。色々なプレッシャーを感じている中、ある日、芹澤事務局長が稽古メニューのメモを渡してくださいました。そのアドバイス通りに稽古をしてみると、自然に不安と焦りが薄れてきました。そして、審査の2日前に沼津本部道場に行った時に、大石代悟主席師範に「10人、一生懸命、頑張れば良い。やりたくとも11人目は出来ない」と言葉を頂きました。その言葉を聞いた時に、自分の緊張が少し和らいでいくのを感じました。
 いよいよ審査当日、自分の10人組手の時に周りを見渡すと、山口先生・尾高先生・三島の先輩達・道場生の大応援団が声援をしてくれてました。自分は、その声に勇気を貰い、心が折れる事も無く、無我夢中で頑張る事ができ、10人組手を完遂することが出来ました。
 色々ある中、大石代悟主席師範に同行させて頂いた時に、主席師範の話を間近で聞く機会がありました。数々の胸に残った言葉の中で、「私はピラミッドの頂点に立っているのではない。列の先頭を歩き、雨・風を真っ先に受け止め、後ろに続く者が道を間違えずに正しい道を歩めるようガイドを努めているのです」という、主席師範の言葉に自分は感動しました。自分も初心に戻り、「自らを一番に置くのではなく、人の為に自分を生かす」の精神で、山口先生と共に東伊豆地区を盛り上げて、更なる大石道場の普及・発展のお手伝いに努めさせていただきたいと思っています。
 最後に、貴重な経験の場と数々の胸にしみるお言葉を頂きました大石主席師範、的確なアドバイスを下さった芹澤事務局長・山口先生・尾高先生のご指導ご鞭撻、そして、自分を応援して下さいました諸先生・先輩・道場の皆様。心から感謝し、御礼申し上げます。

                                         押忍