「壁を乗り越えて」
私は、10人組手をすると決まった時に、怖くてしかたありませんでした。10人と組手をすることが怖いのではなく、審査にあたるまでのきつい稽古を、最後まで出来るかどうか、その事がすごく心配でした。思った通り稽古はとてもきつくて、本番の審査まで続くと思うと泣きたくなる思いでした。でも、私には多くの先輩がいて、私はみんなの見本にならなくてはいけない、ここで逃げたら後輩たちの見本にならない、という気持ちを持って、弱い自分と戦いながら稽古に行っていました。
稽古に行った日は必ずあざができていました。私はこれでも一応女子高生なので、あざをつくって学校に行くのが本当に嫌でたまりませんでした。でも、あざができているのは私だけじゃなくて、練習に付き合ってくれている先生や道場生でもある母もたくさんあざをつくっていました。きつい稽古だって、一緒になってやってくれる人たちがいるから、私は最後まで出来たんだと思います。本当にあんな大変な稽古は、一人では絶対にできなかったと思います。
私は、母にもすごく感謝しています。
黒帯でもある母は、私にいろいろアドバイスをしてくれていました。
でも私は、いけないと分かっていても口答えをして、何回もよくケンカをしていました。稽古に行きたくないという私に、母が説教してケンカが始まる事がほとんどでした。こんなに稽古に行きたくないと思ったのは、二回目だと思います。一回目は私が青帯の時でした。組手の稽古が怖くてしかたなかったのです。もうその時は、母と一緒に海野先生の所へ行き、組手が怖くてしかたがないと、相談に行きました。そうしたら海野先生は一言、「だったら辞めたらいいですよ。」と言われ、母と私はそう言われたのがすごく悔しくて、見返してやろうと母と決めて、頑張りました。
今、あの時空手を辞めていなくて良かったと思います。この時から、私は変わる事が出来たのだと思います。試合にも段々勝てるようになったのも、この時からでした。審査の日は、少しだけ緊張していました。10人組手の前、海野先生や先輩方、たくさんの後輩の皆が「頑張ってね!!」と声をかけてくれて、今までやってきたことを出し切ってくればいいんだ、と思いました。
それに、私は一人で戦いに行くのではなく、みんなが付いてくれているんだ。と思うと、本当に心強くなりました。組手の試合の時は、あまり周りの応援は聞こえないのですが、不思議と10人組手の時は最後までみんなの応援が聞こえました。
何回も途中で弱い自分が出てきて、もうダメだ、と思うこともありました。
でも、その時に周りの人たちの応援が背中を押してくれました。そのお陰で私は、持っている力を出し切ることができました。
大石代悟主席師範をはじめ、海野先生、先輩方、そして、多くの後輩や父兄の皆様、本当に有り難うございました。
私はこれから後輩たちを引っ張って道場を盛り上げていくように頑張っていきたいと思います。
押忍
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