「信 念」 |
極真会館に入門して37年、大山総裁より支部長の任命を受けて29年になります。 全日本大会、世界大会等、公式の場での戦いから、取るに足らない、人に言えない様な愚かな斗いにおいても、自分自身の中にある極真のためという信念の元に、その時その時の私の人生を懸けてきました。 「死を必すれば即ち生き、生 幸い本当に運良く、今日まで歩んでまいりました。強くなければ意味が無い、という、自分自身の自己鍛錬に明け暮れていた気楽な立場から、気が付けば、自身の一言一句、一挙手一投足が多くの人達に影響を与える立場になっていました。いや、なっていたというより、大山総裁の一言でその場に立たされた、という方が正しいかと思います。 支部長を任命された時は、自分の人生の進路を考える間も無く、大山総裁の一言の下に決められてしまいました。しかし、敬愛する大山総裁からの強い期待は、同時に身に余る喜びでもありました。 「総裁の期待を裏切ってはならない。本当に命を懸けなければいけない。全てのどんな物にも屈してはいけない。」と、全日本大会や世界大会とは全然次元の違う、今まで経験した事の無い、身震いするような力と勇気が私の体の中から湧き上がってきました。 しかしその一方で、私の様な人間が、果たして人を指導する任を全うできるかどうか、という不安感も、私の中に同居していました。そういう時はいつも、大山総裁の一言 「やってみなければ解らないだろう 君ならできるよ」 という言葉を思い出す事にしていました。 私は37年前、極真空手を始めるにあたって、どんな事があっても弱い自分から逃げない、絶対に負けない、という事を自分に誓いました。この誓いは私にとっては絶対的な物でした。 何故なら、自分との約束だからです。それは時には、緊張感や、逃げ出したくなる様な恐怖心や不安感という形で、私を試しにきました、未熟な私は、自分自身の中でギリギリの斗いをして、何とか自分から逃げずにきました。それは、私の中にある「全ては、極真の為」という信念があったからだと思います。 初めて総裁の前で組手をした時、相手は私より遥かに強く、気迫・技の両面で圧倒され、思わず下がりたくなった時、ここで下がっては総裁から見放される、と思い、絶対下がってはいけない、と歯を食いしばり一歩も退かず、2分間組手をしました。結果、足腰が立たない位やられてしまいましたが、一人アパートで横になった時、心の中で「俺は逃げなかった」と何度も何度も叫んでいました。白帯の時ですが、体中の痛みの一つ一つが自分を強くしてくれる、と感じました。空手を始めて一番最初に、自分が強くなった、自分は変った、と思った瞬間でした。 本部での修行時代は、常に大山総裁が身をもって私を武道の道に導いてくれました。そして、37年間が過ぎて気が付くと支部長になってからの年数の方が、遥かに長くなっていました。そして、そこには、常に私を支えてくれ、また信頼してくれている弟子達の存在が、私をより一層極真の道へ精進させ、真の空手家、師範にならなければいけないという、私の精神の骨格になっている事に気づきました。 私には常に、信念という物が必要なのです。私にとっての信念は、自身の人生を懸けて、極真空手の普及・発展に取り組む、という以外にはありません。 |
2005年3月 主席師範 大石代悟 |